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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第091号       ’01−05−18★

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     無意識的学習

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●岸田秀教授の

 

「無自覚的学習」と題する文章があります。  僅か3頁、文字数に

して千数百ですが、例によって快刀乱麻。  学習行動が成果を生む

のに必要な条件を、<うまく行かない教育>を原理的に解明する形で

ズバリと教えて下さる。  一読すればたちまち開眼させられること

間違いなし。

 

今や定説となった<学力低下>、またその一典型たる<オチコボレ>、

また延長すれば企業内教育の不毛、何なら家庭教育の失敗、何だろう

とこの説を当てはめれば、容易に解釈できます。  即ち、

 

人間の行動にはパターンがあり、それは学習して身に着けるものだが、

その学習は強いられてするものではない。  周囲の人々の行動から

<知らず知らずに>学ぶ。  即ち無自覚的、ということ。

 

 

<教育>と掲げた教育は、そこからして具合が悪い。  初めに意識

ありき、ですから。  意識が邪魔する、なんてことはよくあります。

 

ゴルフではたとえば、池越えショット。  落とすまい、と心に誓う

ほど落としてしまう。  潜在意識には勝てない、というか、、

 

学習においても、無意識、無心の方がよく身に着きます。 あいにく 

身に着いた結果が良くなかったとしたら、それは見習った手本が良く

なかった、というだけのこと。  そう言えば、

 

今や希少動物化した趣のガングロにはアムロなる手本があったのだし、

アムロの先にはまた、、 という具合。  どれも突然変異ではなく、

いわば学習の成果でした。 あんなバカなマネは、しろと言われても

普通はしないでしょう。  第一に自発的、第二に自覚の欠如。

 

*   *

 

人間としての大切な<勉強>は若いうち、大いにして欲しいけれども、

親や上司が強制して身に着けさせることは出来ません。  世の中の

ことはすべて人間業、その気にさえなれば同じ人間、誰にだって可能

なずですが、肝心のご本尊がダメ、ムリ、、と(もちろん無意識的に

ではあろうが)信じたら、そこが進歩の終着点。

 

オチコボレるのも、もしかするとオチコボレたいという深層の願望が

あって、それが叶えられた結果、なのかも知れない。 その人が望む

通りのものになる、なれる、のが人間だ、と申しますからね。

 

もしオチコボレたのも何かを無自覚的に学習した成果だ、とするなら、

それは<手本>になるオチコボレが身近にいたからに違いない。 と

いうわけで、教育や学習には色々気を付けるべき点があります。

 

従って多くの<教育>は、授ける方も受ける方も、無自覚的ではあり

得ません。 ずいぶん考える、気を付ける。 が、いくら自覚を高め

ても、根深い無意識の方が遙かに強力です。  たとえば

 

EM法研修では、技法伝達の成果よりパフォーマンス、即ち彼自身を

意識する癖(無意識)のある講師が少なくなかったし、一方受講者に

おいては上司に受講を命じられた時から生じた諸々の負担、即ち自分

自身のことを考えずにはいられず、、

 

で、どちらも純粋に Rational Process を意識するのは On and Off

Now and Then。 長くは維持されにくいものです。 たとえ努力

しても、その僅か2日や3日でアタマは切り替わらない。 職場に

帰れば、職場の無意識に支配される人に戻ってしまう、、  結局、

 

意識や自覚はその場限り、無意識・無自覚が勝ち残る仕掛けです。

 

**********

 

 

 

●(第87号に書いた)

 

PC的知識・経験皆無でスタートした<弟子>が、1週間刻みでデジ

カメからフォトショップまでこなすに至ったのも、彼女自身の無自覚

的前提がそれ向きに出来上がっていた、のが幸いしたからでしょう。 

 

第一に、PCで楽しめるようになりたいという念願がご本人にあった。

第二にたまたま女優という職業柄、こうしてご覧と私が言えば迷わず

「はい」と受け、そのまま演じることが出来てしまう体質だった、、

 

どちらも彼女自身の特性であって、コーチたる私の貢献成分ではない。

敢えて捜せば「難しいのではないか」、「2年もかかるのではないか」

という彼女の懸念を早々<削除>したのが私の手柄、でなくもない、、

という程度でしょう。  それも、

 

ほらヤサシイでしょ、面白いでしょ、便利でしょ? と(口では言わ

なかったが)実技や姿勢で示したまで。 特にそう意識してではなく、

私も無自覚的にPCを楽しんでいる。 それが伝染したのでしょう、、

 

ということだと、やはり<相性>は無視できません。 固有振動数が

同じでなければ、共鳴や共振は起きない。  万物の霊長といえども、

モノの基本原理から離れた存在ではあり得ないわけ。

 

そこで岸田教授の文章に目を走らせると、

 

 

 「意識的学習は無意識的学習に支えられ、その延長線上にあるとき

  にのみ、はじめていくらか効果をもち得る」

 

のあたり、ピンと来ますな。  幸い我が弟子、良い無意識的学習を

すでに済ませていた。  私のコーチングが<いくらか効果をもち>

得たのも、彼女がその延長線上にいてくれたからなのだ、、 と。

 

コーチングも、こういった部分はほとんど運頼み。  しかし、その

原理をわきまえていれば、やや成功しやすくなるだろう、またコーチ

自身、天狗になることも無くて済むだろう、、

 

*   *

 

 「人間のもっとも基本的な学習、 生涯にわたって彼の人間観、

  世界観、価値観を規定する学習は、 教える方も学ぶ方も

  教えた、あるいは学んだという自覚を欠いているのが特徴である。」

 

という教授の指摘は、俗に「子供は親の<言う>ようには育たない、

<する>ように育つ」とされていることと同じでしょう。 だから、

 

若い世代の行動ぶりを年長者がただ蔑むのは宜しくない。  手本と

なった年長者自身の特性が、そのまま若者たちに反映しているだけ。

 

親か教師か友人か、その成育過程で触れ合った相手をざっと想像する

ことが出来ます。 「子は親の鏡」と言う通り。 それを言い換えて、

学生は教師の鏡。  オチコボレは親や教育者、また教育システムの

鏡。 日教組よ、文部省よ、政治家よ、君らの通信簿はオール1だぞ。

背任の罪で、みんな刑務所送りにしたいよ。

 

同様、社員は経営者の鏡、メンバーは管理職の鏡、、 社員や部下を

叱責する前に、相当の反省が無くてはなるまい。 この頃チラホラの

<部下が上司を評価する制度>も、そんな期待からでしょうな。

 

<部下からの評価>という鏡の中のオノレノミニクキスガタに四六の

ガマじゃないがタラーリタラリと脂汗、まずトップ自身が流し、それ

から順次下部へ展開して行くようにすべきですな。  しかし、

 

そんな勇気あるトップ、いらっしゃいますかね? もし自分だけは別、

という姿勢だったらその制度、たちまち逆効果を生むことは必然です。

 

もちろん、部下の方も勇気が要りますよね。  本当にホントの評価

を書き入れて大丈夫なのかね? ヤバイことにならんもんじゃろか?

 

*   *   *

 

じゃ、お前なら?  もちろん真正面から取り組みます。  人間が

単純だし建設的。 メンバーを育てるためでしょ? じゃ、まず私が

<あるべき姿>を体現しよう、、 と言っても神ならぬ身。 正直な

ところ、全項目100%とは行くまい。  それならせめて、、

 

と絞り込みますね。 何せ企業は目的社会。 まず主たる目的の達成

のための<あるべき姿>だけでも、、 と重点を定めれば宜しい。

 

それに今は知識化社会、知的行動の<あるべき姿>を、まずトップが

模範的に演じる必要がある、、  だったら、ほかの何よりも Time-

tested で Global de facto Standard の Rational Process だぁ!

 

おやおや、今回はもうCMタイムになってしまいました。 けれども

これなら、誰に対しても持ちかけが容易です。   たとえば、

 

オレも自己流は引っ込めるからさ、お互いに歩み寄ろうじゃないか、、

なんて迫り方も出来るのではありませんか?

 

*   *   *   *

 

ところが Rational Process を<教育>しようとなると、する方も

される側も、それを意識せずにはいられなくなります。  すべては

多忙な企業活動の中、明確な目的の無いことは許されませんから。 

 

たとえば現実、各自の行動に<効果>の視点が欠けている、と見える。

これは明らかに<あるべき姿とのかけ離れ>だ、それを埋める必要が

ある、、 だから教育しよう、、 の

 

<かけ離れている>と見るのも意識なら、必要を感じるのも意識です。

そうした問題意識は大切ですが、その<意識>が邪魔。  何故なら

 

Rational Process は岸田説の「人間の最も基本的な」本来無自覚的

に学習さるべき部分、に相当するものだからです。 なのに、それが

<上>の意識に達するとたちまち、何をどう教育すべきか、誰にその

役を、、 となるに違いなく、しかも多くの場合、<上>自身は多分

無自覚的にその図柄から抜け出てしまっているものです。

 

そうした<上>の無自覚な姿を無自覚的に学習したために<あるべき

姿>からかけ離れてしまった人々を、<上>が進んで変わろうとせぬ

まま、何とか良くしようと言っても、、  うまく行かんでしょう。

 

 「無意識的学習に支えられない意識的学習は、教える方がどれほど

  強制しようが、学ぶ方がどれほどがんばって努力しようが、無効

  である」 

 

悪循環が断ち切れないとしたら、それは結局、<上>自身のせいです。

 

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●入社したばかりの新人に

 

電話を取る役をさせる会社がありましてね。 次の新人が来るまでは、、

と快く引き受け、熱心に演じたのが裏目、そこから外してもらえなく

なった、クサった、辞めたくなった、と相談してきた女性がいます。

 

もちろん彼女、上司に訴えました。 すると何ごと、「自分も電話を

回されて困った時期はあったが、ツッケンドンに応じることにしたら

役を免じられた」、だからキミも、、 と、良くない受け方(?)を

奨められた由。  情けないとも心ないとも、言いようが無い。

 

そこで彼女、アドバイスに従い、不本意ながらツッケンドンを演じて

みたところ、ますます自己嫌悪に陥り、ストレスに悩んでいるという。

 

意識的にそうしろ、と言われても、彼女の無意識が逆らうわけですな。

これはまさに岸田説そのまま。  即ち、

 

 「、、学ぶ方がどれほどがんばって努力しようが、無効である。

  いや、無効ならまだしもいいのだが、意識的学習が無意識的

  学習と矛盾しているときには、悲惨な結果を招く。

 

  無意識的に身につけた行動パターンが意識的に強制される

  行動パターンと対立し、当人を葛藤に追い込むからである。」  

 

ココロなき上司の<悪貨>が<良貨>の部下を駆逐しそうな形勢です。

 

 

同様、せっかく若い人の中に本質的 Rational タイプが結構いるのに、

<上>がどうにも irrational 。  そのため将来に希望が持てない、

と相談して来る例も少なくない。  ああ、もったいない。

 

<上>に向かって「考え方を改めて欲しい」とはもちろん言えないし、

自分の<理に適った>考えを持ち出せば「リクツっぽい」と拒まれる。

 

それが面白くない、我慢できない、で Rational な若者はいなくなる

だろうし、残るのは irrational な<上>に合わせることが(自然に、

か努力して、かはともかく)出来る人、あるいは irrational 感染者。

 

その結果そこがどんな集落になるか、おおよそ想像がつくでしょう。

このキビシイ時代、それでどこまで行けるのやら?

 

で、あなたはご自分の職場をどう見ていらっしゃいます?  何とか

イケそうですか?  それとも、何かしなくちゃ、、 ですか?

 

*   *

 

イケル職場にするには、何よりも先、あなたの Rational 流を広める

必要があります。  それも改めて教えるのでなく、あなたの日常的

な行動によって、彼らが気付くことなく身に着けるように仕向ける、、

 

ということなら、あなた自身が無自覚的に Rational 流を演じている

ようでなくてはいけない、、 と言っても難しくなんかありません。

 

まず、いつも手元にブランクのワークシートがあること。  議論の

始まりには、それを取り出すこと。  書き込みながら対話すること。

 

これを重ねれば遠からず、シートなど無くとも Rational Process で

話を進める人にあなたはなります。 たったあれだけの手順ですから、

あなたの意識下に収まるのは時間の問題。 シートも要らなくなる、、

 

するとやがて、あなたに話を持ち込んで来る人たちもそうなるのです。

そうしないとあなたが話を受け付けない、と自然に分かりますからね。  

 

それが無自覚的、無意識的学習。  最も成功率の高い実際的な教育。

 

*   *   *

 

プライベートのあなたがどんな人か、は「おたすけマン」には関心外。

しかし、組織活動のリーダーとしては Rational であった方が効果的、

という点は譲りません。  この技法のルーツに遡れば、論じる余地

ないことですから。

 

あなたのチームの力を<効果的>に発揮させたいとお望みなら、まず

あなたが Rational 流を生き生きと演じること。  そう演じられる

ようにお手伝いすべく、「おたすけマン」は常に控えております。

 

                         ■竹島元一■

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